フランス語とわたし

その他
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今日はわたしについて改めて話してみようと思います。特に面白い話はありませんが、レッスンを受けてみようかなと思っておられる方や、そもそもこいつ誰やねんと思いながら読んでくださっている方、いつもレッスンを受けてくださっているけれどなかなか話す機会のないわたしの学生時代について知りたいなと思ってくださる生徒さん(がいればですが…)に向けて。なぜわたしがフランス語を始め、どんな風に学んできたか、です。

わたしの愛するフランス語との出会いは中学生のころに遡ります。

中学生のころ

わたしは中学生のころに流行ったドラマが「花より男子」の世代なわけですが(もちろん井上真央さんの)、花男に負けず劣らず流行ったドラマに「のだめカンタービレ」がありました。音楽大学を舞台にしたお話で、わたしも例に漏れず千秋先輩に夢中になったわけですが、そののだめカンタービレがドラマスペシャルを放送したのがわたしが中3のころでした。そのスペシャルドラマでのだめと千秋先輩はパリに発ちます。そこでわたしはパリの風景を見て漠然と「パリに行ってみた~い」となり、「じゃあフランス語勉強してみる!?」と図書館で本を借りて一人で勉強しようと試みてみたのですが、あまりにも難しく、そして何より受験勉強の方が大事だったので、「大学に入ったら学ぼう」と思ってこの時は学習を諦めました。

高校生のころ

高校生になり、2年生の文理選択で「理系科目の方がまだ好きだから」という理由で理系を選択したものの、特に大学で勉強したいというものもなく(理学部も工学部もどうにもしっくりこず)、文系学部に行くことにしました。だからといって何を勉強したい、というのもなかったのですが、一応ここでも「フランス語学科」の選択肢はありました。ですが、ふわっとした気持ちでフランス語は勉強したいと思っていても、学部として選ぶにはあまりに狭すぎないだろうかと思い、結局文系学部の中でも広々といろんなことの学べそうな学部を志望していました。

大学1年生 (トゥールーズ短期留学)

臨んだ国公立ではなく私立になりましたが、まあ行ってもいいかなと思えた大学に入学。フランス語専攻ではありません。わたしの学部は第二外国語の選択肢が英語、フランス語、ドイツ語、中国語…の中から1つだけしか選べず、つまり英語を勉強するかしないかという選択ができました。英語をした方がいいのでは…と悩んだものの、3年前に大学に行ったらフランス語を学ぼうと決めていたのもあり、フランス語選択にしました。結局大学では一度も英語を学びませんでした。(あとフランス人の先生がかっこよかった。ちなみにこの先生よりかっこいいフランス人にいまだ出会ったことがない。)

というわけで語学の授業はフランス語のみなので、90分授業が週4であり、週に2回はフランス人の(かっこいい)先生と、週に2回は日本人の先生との授業でした。2回目の授業でêtreの活用テストをした記憶があります。それがフランス語である必要性があったのかどうかは私にも分かりませんが、とにかく今までの受験英語と全然違う、新しい言語を学ぶということがすごくすごく楽しくて、大学の授業のどんな授業よりフランス語の授業を一番楽しんでいました。

もちろん留学もしたいと思っていたのですが、「1年なんてとんでもない!」という気持ちでした。ただ、大学に5週間の異文化交流プログラムみたいなものがあり、1回生の春休みにフランス・トゥールーズに行く留学プログラムがあったので、これはいいと応募しました。留学というよりほぼ遊びに行くみたいなもので、ホストファミリーのおうちに滞在し、毎日トゥールーズにある大学の付属の語学学校に同じ日本の大学の友達と通って授業を受けました。一応この授業は2クラスに分かれていてレベル分けテストか何かで上のクラスに入れられたのですが、だからといってもちろん話せるわけでもなく、チューターをしてくれた友人(最近子供を産んだ!今でも仲良しです)と電子辞書を片手に会話していました。母が好きなので「L’Occitane」に行ってお土産を買いたい、と彼女に伝えたかったのに、一生「L’Occitane」が伝わらなかったのは今でも彼女との笑い話です。「Je veux aller à ロクシタン!」「Où … ?」(l’occitaneという綴りを見せる)「Ah ! L’Occitane !」「いやそれわたしずっと言ってたやん!!」みたいな。(今思えばciの音とシの音の違いや、日本語ではタンですがフランス語ではタンヌって感じなのでその辺で伝わらなかったのだろうと思います。)

5週間語学学校に通った最後、DELFを受けさせられ、下のクラスはA1、上のクラスはA2を受けました。わたしはこの時「DELF」というものが何かもよく分かっておらず、何のテストなのかもよくわからないまま受けました笑 口頭試験の記憶は漠然とあるのですが、筆記試験の記憶は一切ありません。これがわたしの唯一のDELF受験記録。笑 ちなみに70点で受かっていました、本当に本当に記憶がなさすぎます。

3月に帰国しこの後2回生になるわけですが、この5週間がとにかくとにかく楽しくて(そして1€100円換算していた時代…)、1年の留学も視野に入れ始めます。

大学2年生~3年生夏 (留学準備)

フランス人の友達もできたし、留学プログラムで知り合えた他の学部のフランス語関連の友達もできたし、フランス語熱はさらに上がり仏検受験を決めます。これもなんでだか分からないんですが、いきなり2級から受けました。準2の問題から解いて、「準2はいけそうやし、じゃあ2級もいけるやろ~」と思って2級受けたはずで、いけてしまったわけです。一応4年大学で専門的に勉強すれば、というレベルの2級に1年2か月くらいの学習で受かったので、(かっこいい)先生も「大学の中で今までで一番若くでの合格なんじゃない?」と褒めてくれました。そもそも勉強が嫌いなわけじゃないし、フランス語が本当に楽しかったので対策勉強も全く苦じゃなかったです。

ちなみに2回生にもなるとフランス語クラスのみんなは単位のためだけに出席してる感があり、その中でわたしはフランス語の勉強が楽しくてしゃあない、というようなテンションで授業を受けていたので、成績はよかったです。授業内でフランス語で作文を書きましょうというので書いた作文を学内の何かしらのコンテストに出してもらい、何かしらの賞をもらったのも覚えています。頂いた賞金でフランス語の電子辞書を買いました。いまだに現役!

それと同時に、3回生の夏からの交換留学に向けて準備を始めました。もちろん学内選考があるわけですが、志望した都市は違ったのですが(多分トゥールーズとかボルドーを志望した)、エクサンプロヴァンスの留学のみ他の大学と違って「仏検2級」が必要とされていて、その年に2級を取っていたわたしがエクサンプロヴァンスにあてがわれたわけです。志望していた都市ではなかったし、同じ大学から一緒に留学する人もいなかったので不安はありましたが、それでもワクワクでいっぱいでした。

3回生になってからは希望者が副専攻としてフランス語を学べたので、それも取っていました。とにかく取れるフランス語の授業は全部!自分の学部の勉強の数百倍楽しかったのです。

大学3年生~大学4年生 (エクサンプロヴァンス交換留学)

3回生の夏から交換留学でフランスへ行きました。3回生なのでゼミも始まっていますが、遠隔で指導してもらっていました。3回生の夏から留学すると卒業を伸ばす人が大抵だと思うのですが、わたしは4回夏に帰って就活して4年で卒業のつもりでした。

留学はまあとにかく楽しかったの一言につきます。向こうの大学で受ける授業は留学生向けのものが多かったですが、全然何言ってるか分からなかったしちんぷんかんぷんではありました。それはもう1年ずっとそうだった。フランス語で進むフランス語の授業もギリギリ…という感じでした。ただ、大学で日本語を専攻しているフランス人の友人ができ(こちらも今でも仲良し!)、図書館の前のベンチに行けば大体彼らがいて、授業が終わってそこに行って集まって、その後みんなで図書館で勉強して…と、なんでしょう、普通の大学生が日本の大学で普通にやっていることなのかもしれませんが、それがすごく青春でした。彼らと毎日話すうちに、1年の留学の最後の方でやっとみんなが何を言っているか無理なく分かりようになりました。

大学4年生 

日本に戻り、さて就活です。なかなかフランス語関連の仕事は見つけられないので、「割り切って数年仕事して、お金の貯まったころにワーホリでフランスでも行こう」と思っていました。転勤は絶対嫌なので一般職で仕事を探し、ほぼ内々定をもらったころ、(かっこいい)フランス人の先生に「フランスの大学院とか興味ないの?」と言われ「いや~わたしなんかがそんな……いやでも…………アリか…」という感じで、結局就職はせずにまたフランスへ留学することに決めました。

ちなみにこの卒業前に仏検準一級を取りました。在学中は仏検の費用を大学が半額出してくれる制度があったので最後に受けておこうと。ありがたいですねえ。特に対策をした記憶もないのがこれまた残念なのですが、筆記は73/120点(合格基準点69点)、二次は30/40点(合格基準点22点)で受かっていました。一次、ギリギリだったんだ…

卒業して、フランスの新学期が始まる秋まではフリーターとしてお金を稼ぎ、そして入学に必要と言われたC1レベルの取得のために勉強していました。C1はDALFでもTCFでもよかったのですが、期限的にもDALFだと間に合わないのでTCFで取得しました。ちなみにTCFはTOEICみたいな感じで、「あなたは何点なので何々レベルです」とレベルが出るテストです。リスニング、文法と語彙、読解の3項目あり、リスニングはB2、文法はC2、読解はC1レベルを取って総合C1レベルを取得した、という感じです。

留学先は交換留学と同じエクサンプロヴァンスです。街を気に入ったし、友達もいるしで迷いはなかったです。色々とややこしい入学手続きもなんとか済み、改めて渡仏です。

DUの1年

すぐに院に入れたわけではなく、わたしの学びたかった「外国語としてのフランス語」(外国人にフランス語を教えられるようになるための学問)を院で学ぶには、学部で学習されているべき知識が必要でした。しかし、わたしの出身学部ではもちろん同様の知識を得られる授業はなかったので、準備学級的な1年を過ごしました。Diplôme Universitaireと言って、本来なら学部の授業と並行して取る課程で、教職みたいな感じでしょうか。その教職だけを1年受けていたという感じです。教職より全然授業数など軽いと思いますが。それと並行して大学付属の語学学校で論文の書き方講座みたいなのも取っていました。このフランス語の先生がとってもいい先生で大好きだった。

ちなみに、交換留学の年に出会ったフランス人の友人たちとcolocation(ルームシェア)をしていました。交換留学の時には部屋にテレビもありませんでしたが、ルームシェアではテレビも洗濯機もついたお部屋だったので、夜にご飯を食べた後にみんなでシンプソンズ(吹替)を見たり、映画を見たり、普通の生活をフランス語漬けで過ごせました。この頃には問題なく話せるようになっていました。フランス語を始めて4年半、うち1年はフランスに住んでいた、という学習度合いでそんな感じです。交換留学から帰ってから1年後にまた渡仏したわけですが、その間の1年もフランス語でコミュニケーションを取る機会が多かったので、その年でかなり喋れるようになった気がします。それでも授業についていくのはボチボチ…です。全部は分かりません。ただDUの時はすべての授業が大講義室で行われていたので発言の機会はなかったことと、ルームシェアをしている友人2人も一緒に受けていたので彼らのサポートもあったことで、まあなんとかいきました。彼らより良い成績をとった授業もあったので満足です。

大学院

DUの1年を終え、ついに大学院での授業です。フランス語を外国人に教える先生になりたい人たちが集うコースです。いわゆるFLE(Français Langue Etrangère)というやつですね。授業がすごく楽しかったかと聞かれるとなんとも答えづらいですが、それでも交換留学の時よりは授業について行けたり、クラスメイトとコミュニケーションが取れたりしたことは嬉しかったです。クラスメイトは8割フランス人ですが、その専攻の特性上外国人もいました。

大学院は2年間ありますが、最初の1年は座学がメインです。でも地元の小学校にお邪魔して授業をしてみる、みたいなことがあったり、プチインターンで語学学校にお邪魔して授業の様子を見させてもらう、というようなこともありました。2年目は海外でのインターン+遠隔授業だったので、日本に戻って日本のフランス語教室でインターンをしました。学生の間はインターン後もそのままバイトとして働かせてもらい、その間に修論を書いて、Skypeで先生と口頭試問をして、卒業しました。フランスには卒業式なんてものはないので、院の1年目が終わったっきりフランスに戻ることはないままの卒業です。感慨ないですよね。

やってるときは別になんとも思わなかったけど、フランスで修士を取るって改めて言うとなんかすごそうに聞こえますよね。笑 でも「読め!」って言われたフランス語もしくは英語の論文も読むのだる過ぎて読まなかったのいっぱいあるし、授業は大体わかってもそんなに積極的には発言できなかったし(友達の前ではリラックスして話せても授業でとなるとやっぱりそううまくいかなかったり)、同じ内容を日本語で学んでいたらもっと得られたものはあるだろうなとは思いますが、それでもまあなんとか終えました。

その後

インターンをしたフランス語学校で引き続き勤め、その後個人でオンラインレッスンを始めました。また、学習塾で小学生から高校生に勉強を教える塾講師としても働き始めました。フランス語も教えることも好きなのでフランス語レッスンが一番好きですが、それでも子供たちに数学や英語を教えるのも結構好きです。子供たちと話すとエネルギーをもらえるし、みんなかわいいです。大学生の頃も塾講師のバイトはしていましたが、大人になってからやる方がやりがいも感じるなあと思います。

それから、学生時代に準一級を取ったきりだった仏検、履歴書を書くたびに「この『準』ジャマやな…」と思っていたので、一念発起し2023年に一級を受けました。結構頑張って勉強しましたが、頑張って勉強した部分の点数は伸びず、最初からできていた部分で得点しての合格でした。まあでも合格は合格です。DALF C2も取りたいなあと思ってはいるのですが、ワーホリの準備やらで忙しくなり、こちらはいったん保留中です。

ワーキングホリデー

そして現在ワーホリでパリに来ています。出発前は「行きたくない行きたくない」と周りの人にこぼしていたわたしですが(自分で決めたくせに!)、なぜ来たかと言えば「年齢的に最後のチャンスだから(ワーホリは年齢制限があるので)」「1年住めるビザを使わないのがもったいないから」「フランス語講師としてもっとパリのことを知っておいた方がいいなと前々から思っていたから(3年住んでいましたがずっと南仏だったので)」という感じでしょうか。塾講師はお休みしてオンラインのフランス語レッスンを続けながらパリを含めたフランス北部の都市の観光をしています。パリに来てほぼ5か月、来たことに後悔はしていません。貯金を食いつぶす日々ですが、何にも代えられない経験ばかりできていると思っています。

と、これがわたしとフランス語の歩みでした。わたしについて、聞かれて嫌なことはないので何か気になることがあればレッスンの合間に聞いてくださいね。こんな記事恥ずかしくて書いた後出すのをためらっていたのですが、誰かの何かの刺激になればなあと思って公開してみます。

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